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沈黙 -サイレンス-
2017/01/31(Tue)
2017年1月30日に、何と仕事をフケて見に行きました。
(月曜にはよくやります…)
…ってか、癌になってから、行きたくない時に無理に仕事行くのやめようと思ったのです。
どうもそういうことの積み重ねが、キラーストレスとか言って免疫が落ち、癌細胞の増殖を許す原因になるみたいなので。
もう再発や転移はマッピラごめん、てなコトなワケです。

で、肝心の映画のカンソー。
例によってネタバレしてるので、ご覧になる予定の方は、この先の閲覧ご用心下さるようお願いします。
実は原作小説読んでます。
…というか、かなり昔、20代前半の頃遠藤周作にどハマりし、氏の作品をほぼ読破しました。
「沈黙」はそれほど好きな作品ではないのですが、読んだ当初衝撃だったのは確か。
ちなみに遠藤周作の作品で好きなのは「イエスの生涯」「キリストの誕生」の2冊。
幼稚園から中学校までを苛められっ子として過ごした自分としては、イエス・キリストなる人物ともっと前に出会いたかった、というのが本音でした。
キリスト教の洗礼を受ける決心をしたのも、この遠藤氏の2冊の小説がきっかけです。

「沈黙」については、かなり前に日本人の監督で映画化されてて、ビデオ鑑賞したことがあるのですが、原作があまりにも端折られていることにショックを受け、フェレイラ神父を演じたのが何と丹波哲郎さんで、クマのように髭じゅう顏だらけ、じゃない顔じゅう髭だらけの姿に爆笑してしまった過去があります。
今回はスコセッシ監督ということで、その手の心配は全くしていませんでしたが、期待以上の手応えがあった映画でした。

「ラストサムライ」の時がそうでしたが、ハリウッドで日本が舞台の映画を作ると、日本人スタッフが関わっていてもどこかに違和感が残るものになります。
今回その違和感が全くなかったことで、スコセッシ監督の仕事の素晴らしさを先ず感じました。
そして、内容が原作に忠実だったことも、この作品に対する監督の敬意を感じて感激でした。
ただし、原作の小説を読んだ時に感じた疑問もそのままだったので、この際ここに書いておきます。
…ちなみに、もし自分がこの作品の中の人物だとすれば、それは間違いなくキチジローですのでご了承のほどを…

え~、先ず踏み絵の件。
確かキリスト教では、偶像礼拝禁じてたはず…なのであんな板っ切れ、バンバン踏んで構わんはずだし、パードレたちはなぜそのように、信徒たちにレクチャーしなかったのか?
十字架に唾する話だって、作り物の十字架なんだから、罪になんかならんはず。
農民たちはそのへん知識がないからしょうがないけど、パードレたちがちゃんと教えなきゃアカンのと違うの?
踏み絵なんかバンバン踏んでかまへん、何なら空手で真っ二つに割っちまえとか言ってあげれば、農民キリシタンたちもかなり楽になったと思うんだけど。
まぁどうしても日本人だから、ホトケ様拝む感覚で偶像崇拝になっちゃうのは仕方ないけど、せっかく日本くんだりまで来たなら、パードレたちちゃんと仕事しなよ!
…とまぁ、原作読んだ時も感じた事ですが、今回も大いなる疑問でした。
…要するに、パードレたちならもっと気軽に踏み絵踏めるはずじゃん、ってコトなワケです。
当時の日本はまだ封建社会だったから、農民キリシタンにはそういう考え方無理かも知れないけど、パードレたちなら出来るハズだし。

宗教って結局、個人の魂とカミサマ(ホトケサマ)との超個人的な関係だから、本来公に棄教宣言したところで何の意味もない。
むしろ当時の大名たちがパードレに棄教宣言を迫ったってコトは、逆にカミサマの存在を認めてることになる。
存在しないものを捨てろったってムリだもん。
結局、そこに気付けないパードレたちの狭い了見(ある種の傲慢さ)がこの問題の根本原因なんだよね。

パードレたちのミッション(宣教)ってば結局は、欧米列強の植民地政策に利用されてたわけだし、それに気付いてキリスト教禁令や鎖国政策取った日本の方が一枚上手だったわけで…。
実は自分、ぶっちゃけキリスト教徒なワケですが、禁令は正しかったと思ってる一人。
そのおかげで、宗教的タブーのない、自由な日本になったと思ってる。

どの宗教を信じるかは、その人の生まれ育った民族的背景とかが大きく関係するけど、信仰そのものはあくまでも個人とカミサマの関係だから、信仰がホンモノなら何物にも左右されない…ハズ。
この作品のテーマってまさにそれだろうと思うし、逆に言うと農民キリシタンの苦難は、彼らが自ら招いたともいえる。
彼らにとっては、封建社会の最下層という苦しい現実を生きるより、殉教してパライソに生まれ変わる方が幸福なんだよね。
その中で、キチジローというキャラは出色だと思う。
要領よく立ち回ることで、辛い現実に立ち向かおうとしてた。
一見意志が弱い、信用置けない奴に見えるけど、どんなに苦しくても現実(生きること)からは逃げない、という一点において、一番強いのは彼だと思う。

…ていうか自分、「沈黙」については通常のクリスチャンの読者とはかなりかけ離れた読み方してると思う。
たぶん映画でも同じ。キチジローは普通、嫌われ者だと思う。
だけどキチジローにしたって、信仰がある以上、常に魂の中ではカミサマと会話があるはずなんだよね。
双方納得したうえで行動してるはずなので…。

棄教したはずのフェレイラが「主」と口にするのを聞いたり、自分自身も棄教した後、キチジローに請われて司祭にしか出来ないはずの許しの秘跡を授けたりしたことで、ロドリゴも最後には、信仰とは何なのか理解してたと思う。
信仰ってば本来、組織(教会)と全く関係ないところにあるもんだからね。
…って、教会に足を向けない信徒がよく言うよ、って感じだけど、教会に行かない言い訳をすると、今の牧師さんがまた、ミッションに熱心な人なんだよね…。
イヤ悪気がないってコトも、気持ちもよく分かるんだけどね。
信仰ってば本来、超プライベートな体験から生まれるものだから、他人に伝えるとか出来ないハズだし、無理に伝えようとすると押し売りになる。
お互い、大きなお世話って言葉を学ばないとね~。
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